美味礼讃 海老沢泰久

  • 2021.03.28
美味礼讃 海老沢泰久

大阪に暮らしていた時、料理学校の先生と一緒に料理を作ることができる体験イベントが時々新聞の広告欄に掲載されていた。料理界の東大と言われる辻あべの調理師専門学校の大人版体験入学で、何度か応募して参加したことがあった。先生は料理の手順を説明する際に必ずその理由を説明してくれた。材料の物理的特性を考えた切り方、調味料を加える順番と化学反応の関係、材料の熱の伝わり方と収縮について。深い理論で裏付けされているひとつひとつの手順によって一皿の料理が完成してゆく。鍋の中で起こっていることは化学であり物理である。出来上がった料理を食べながら先生に「この学校を卒業すると大抵は勉強していたコースの料理人になるんですか?」と質問してみた。すると先生は「いや全くそんなことは無いです。勉強していたことと実際に進む道が違っている生徒もたくさんいます。この学校はレシピを教えているんじゃないんです。材料の基本とか料理の摂理をしっかりと勉強しているので、学校で何のコースを勉強していたのかと何の道のプロになるのかとはあまり関係がないことです。」と言われた。僕はもうすっかり大人になっていたけれども、もしも高校生の時にこの体験をしていたら間違いなく料理人を目指しただろうなと思った。「美味礼讃」は辻静雄が辻調理師専門学校を作り育てたその歴史を記した本である。体験入学で先生が語っていたその思想は正にこの学校の歴史が作り守ってきた考え方であることがよくわかった。もしもこの学校が無かったら日本の食文化は違った形になっていたことに全く疑う余地がない。

本: 「美味礼讃」 海老沢泰久
ブックカバー: TRADER JOE’S